連載コラム 自然エネルギー・アップデート

脱炭素へのパラダイムシフト
「REvision2016 自然エネルギー 飛躍の時」 閉会の辞より

2016年4月28日 末吉竹二郎 自然エネルギー財団 副理事長

 3月9日に当財団主催で開催した国際シンポジウム「REvision2016 自然エネルギー 飛躍の時」で、国内外の専門家に自然エネルギーの状況を語っていただいた。「日本もようやく頑張り始めたが、世界はもっと遠くへ行ってしまったのではないか」というのが、率直な総括である。

 世界の現実は、見事に予測の先へ行っている。予測が現実を引っ張るのが普通だろうが、現実が予測を引っ張っているのだ。そうした世界の状況の中で、日本に関してたいへん気になることがある。

 まず、ボリュームが桁違いである。たとえば、世界の風力発電のキャパシティが昨年末で430GW、同じ時点の世界の原発の380GWを上回っていたという。このようなボリュームの大きな躍進があるのだ。そんな中で、言うのも気が引けるが、日本の風力発電の2030年目標が10GWである。15年後までにあと7GWしか増やさないというのが日本のナショナルターゲットである。
 私はバックグラウンドが金融なので、金融の話を申し上げると、今年の1月下旬、ニューヨークの国連本部に世界の多くの機関投資家が集まった。年金基金などである。彼らが語る自然エネルギーや省エネルギーへの必要投資額の大きさが、兆ドル(Trillion Dollars)であった。兆円ではない。「The Clean Trillion」、クリーンなエネルギーへの年間1兆ドルの投資だ。こういうことを頭に入れながら議論をしている。構えの大きさがぜんぜん違う。

 さらに深刻なのは、ものの考え方の違いではないだろうか。たとえば、日本の系統連系において無制限出力抑制を論ずる際に、日本の原発がすべて全開でフル稼働しているのを前提に、自然エネルギーにどれだけ枠をあげられるのかという議論が行われている件に関して報告があった。
 新しく生まれてくるさまざまな電源も同じテーブルにのっているのかと思ったら、既存電源が最優先されるしくみだ。こういったことで「公平な競争」とか「市場ベースの競争」は可能なのだろうか。既得権益を守ることを前提としたシステムの中で、新しいことは生まれてくるのだろうか。
 日本は昨日の頭で昨日の問題の解決を図ろうとしているのではないか、と思ったら、ある人が、「いや、昨日の解決策で今日の問題解決を図ろうとしているのではないか」とおっしゃった。日本はさらに遅れるだけではなく、方向性がそもそも真逆じゃないのかと。同じ方向を見て乗り遅れるならまだ望みがあるが、世界がこっちに行っているのに、別の方向を向いているのではないか、という話も出ている。
 さらには、エネルギーのパラダイムシフトが始まっているとすれば、規制やさまざまなルールはそのパラダイムシフトの方向に沿って変わらなければならないとおっしゃる人もいて、私もまったく同感である。
 日本では古い規制が新しいパラダイムシフトの頭を押さえつけているのではないか。変革のスピードは新興勢力が決めることで、既存勢力が決めるのではないとおっしゃる人もいた。まったく同感だ。このような古い「昨日の」考え方では、日本はもたないと思う。

 世界をリードしてきた日本、特に太陽光が、今のような状況にあるのを見るのは忍びない、悲しい、というコメントをされる人もいた。まさにショックである。その延長線上で、私が最近、本当に驚いたことがある。昨年の12月にCOP21から戻ってきたところ、日本政府の中で、「COP21、パリ協定ではたいしたことにならずに済んでよかった」、という発言や、「パリ協定のINDC(各国の約束草案)は義務じゃないからいい」という議論があったというのだ。どうしてあのパリ協定を矮小化しようとする発想や発言をされるのだろうか。私にはまったく意味がわからない。現実はまったく逆である。パリ協定ほど、世界の期待を上回る結果を得られたものはなかったのではないか。
 つまり、低炭素ではなくて、われわれがめざすのは脱炭素なのだと。Low carbonではなく、de-carbonization なのだと。「脱」と「低」では、思想やコンセプトがもともと違う。Low carbon は出すことが前提で、いかに減らすか、である。でも脱炭素は、排出ゼロなのだ。それをめざすことは、思想がそもそもから非常に違ったものになる。そういったインプリケーションをもったパリ協定の持つインパクトは、しっかり考えれば考えるほど、これから世界を変えていくという意味で大きくなる。なのに「たいしたことなかった」というマージナライゼーションをどうして日本は考えるのだろうか。

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